先輩パパとママの毎日コラムvol.4

ハルちゃんと僕「生まれる日」

2016/4/14
ハルちゃんと僕「生まれる日」 ハルちゃんと僕「生まれる日」

アムステルダムに暮らしながら写真家・文筆家として活動する小野博さんの、愛娘・ハルちゃんとの日々。

妻の助産院で行われる定期健診に同伴することにした。

住所を確かめながら通りを歩いてると、突然大きなコウノトリの看板が目に入ってきた。まちがいない、あそこが助産院だ。診察室に入って、いろいろ問診を受け、最後に血圧を測ったら健診はあっという間に終了した。それから助産師さんが出産に関する質問を受け付けてくれた。妻は「自転車はいつまで乗っていいのでしょうか? あと私ダンサーなのですが、いつまで踊ってもいいものなのでしょうか?」と訊ねた。すると「自転車も踊りも気分が悪くなければ出産の前日までしてください。妊娠は病気じゃないですから普段通りの生活してくださいね」と答えた。ああ、なるほど、なるほど。 コウノトリの看板

そして助産師さんは、妻にどんな出産仕方が選べるかを説明してくれた。ナチュラル志向のオランダでは、助産師さんによる自宅か、もしくは病院での出産が一般的だということだった。逆に産婦人科医に取り上げてもらうのは、母子になんらかの事情があったり、どうしてもと強く望んだ場合のみらしい。妻は高齢出産なので自宅で産むには不安が残る。なので、いざという時すぐに産婦人科医が駆けつけてくれることを考慮して、病院の出産専用の部屋で助産師さんに取り上げてもらうことに決めた。

お腹の子供は順調に大きくなり、ポンポコリンのお腹で踊り続けていた39才の妻もついに産休を取ることになった。といってもせっかちな妻のこと。あらかた子供を迎える準備は整っていた。天気のいい日は二人で遠くまで散歩したり、日がな一日産まれてくる子供の名前を考えたりして過ごしていた。

しかし出産予定日になってもちっとも産まれる兆候がなかった。予定日を三日も過ぎるとさすがにやることもなく、僕らは部屋の中でぼんやりするのにも飽きていた。僕は気分転換にどこか広いところに行きたくなったので、妻と一緒に海を見にいくことにした。秋の海は気持ちがいい。妻が「ちょっと無茶がしたい」と砂浜を走ったり、からっぽのシャコガイの殻を一緒に踏んだりして歩いたあと、砂浜にしゃがみ込んで、しばらく波の音を聞いていた。

海で大はしゃぎ

日が暮れる前に家に帰り、ご飯を食べていると、妻が突然腹を押さえ「イタタタタタタタタタタタタ」と言い始めた。

お!!陣痛だ!!

長い間待ち焦がれてきた陣痛だけど、実際始まるとすごくびっくりする。それは妻が目の前で七転八倒しているからだ。しばらく陣痛の間隔が短くなってきて、七分間隔になったところで助産師さんに電話すると、三~四分間隔になったらもう一度電話するようにと言われた。陣痛は今日眺めていた寄せては返す波のように、ザッパーンと痛みがやって来て、サーっと去っていくを繰り返す。ザッパーンの代わりにイタタタタタタである。しばらく妻の背中をさすっていたのだが、深夜になると妻を心配する気持ちよりも、徐々に眠気が勝ってくる。いやいや妻が陣痛で苦しんでいるのに、寝ちゃダメだ、、、、、

イダダダダダダ

妻の苦しそうな声で僕は目が覚めた。いやあ寝てたね僕、ダメじゃん僕とまた妻をさすり始めるがまた寝落ちしてイダダダダダダの声で起きる。それを何度か繰り返しているうちに夜が明けて外が明るくなってきた。陣痛の間隔が四分になったので助産師さんに電話すると、しばらくして若い助産師さんが我が家にやってきて、さっそく妻を内診した。

 「うん来てるわね、じゃあ病院に行きましょう!!」

助産師さんは自分の車で病院に向かい、僕らもタクシーに乗り込んであとに続いた。 車内で陣痛に苦しむ妻をさすりながら、僕はずっと胸のドキドキが止まらなかった。タクシードライバーさんとバックミラー越しに目が合った。ドライバーさんもドキドキした顔で陣痛の妻を眺めていた。車内が新しいことが始まるに興奮に満ちていた。(つづく)

小野博

PROFILE

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写真家・文筆家。2002年よりアムステルダム在住。著作に世界を旅した記録を綴ったエッセイ集『Line on the Earth ライン・オン・ジ・アース』(エディマン)、日本とアムステルダムでの暮らしを綴った『世界は小さな祝祭であふれている』(モ・クシュラ)など。

(制作 * エチカ)

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