先輩パパとママの毎日コラムvol.49

後藤家のちちとははの子育て日記 父編

2016/12/7
後藤家のちちとははの子育て日記 父編 後藤家のちちとははの子育て日記 父編

京都の海の町・久美浜で暮らす後藤さん家族は、ちちとははとこの夏に生まれたばかりの息子・季之介くんの3人暮らし。ちち・孝文さんが振り返る、赤ちゃんに出会う前のはなし。

結婚式を終えた数日後に、妻から「子どもがほしい。」と言われた。もちろん僕もいずれは子どもが欲しいと思っていたけど、その時は「そんなに焦らなくても時がくればできるんじゃない?」と考えていた。その時点で妻も僕も27才。妊娠適齢期ではあるけど、もうちょっとのんびりでもいいかなと思っていた(今から思い返せば、そもそもまだ父親になるという覚悟ができていなかったのかもしれない)。

結果的に言うと僕の考えは甘かった。いわゆる不妊というやつだ。その内自然に授かるだろうと思っていたが、結局授からぬまま約1年が過ぎた。もしかしたら不妊の原因があるかもしれないと心の片隅で思いつつも、僕の方はまだ気楽な気持ちでいた。しかし、妻はそうはいかなかった。早く赤ちゃんが欲しいという気持ちと、なかなか授からない事への不安、仕事でのストレスなどが重なって気持ちが落ち込む日が増えていた。そんな妻になんと声をかけていいかも分からず、悪循環の日々が続いていた。

絵馬

このままぐるぐると悪循環の日々を続け、妻の苦しそうな姿を見るのも辛いので、思い切って妻に産婦人科・不妊外来の受診を提案してみた。妻としては受診に若干抵抗があるように見えたけど(その気持ちはわかる)、もし何か原因があるなら早めに分かった方がいいんじゃない?と伝えたら、その次の週ぐらいに病院へ行ってくれた。受診した結果、やはりホルモンバランスが原因で妊娠しにくい状態だったようで、薬を処方してもらって飲みはじめたらあっという間に妊娠した。こんなすぐにうまくいくとは思ってなかったので正直驚いたけど、本当に本当に嬉しくて妻と泣いて喜んだ。

海と太陽

喜んだのも束の間、次なる試練のつわり期がすぐにやってきた。噂に聞いてはいたが、想像以上の壮絶さだった。ご飯もまともに食べられず気持ち悪い中で、仕事にも行かねばならず本当に辛そうで。結局どんどんつわり症状は悪化し、妊娠判明から約1ヵ月後には入院することになった。幸いなことに1週間ほどで退院できたけど、退院後も辛いことには変わりなく。そんな妻に対して気の利いた言葉もかけられず、できる範囲のサポートしかできない無力さを実感する日々だった。でも赤ちゃんのパワーというのは絶大なもので、そんな辛さをふっとばす以上の喜びで溢れていたのだと思う。

家の前

数ヵ月するとつわりもだいぶ落ち着いてきて、無理はできないながらも比較的穏やかに過ごせているようだった。僕はと言うと、赤ちゃんを授かった喜びはありつつもまだエコー写真では何がなんだか分からないし、胎動なんかもまだ感じられなかったので、気持ち的にフワフワしたような感じだった。でも、妊娠5ヵ月目の検診で赤ちゃんの性別が男の子だと判り、一気に実感が湧いてきたのを覚えている。

お裁縫

性別が判明したのでぼちぼち名前も考えはじめた。妻も僕もお互いに頑固者(!)なので名付けは大変になるだろうな~と思っていたけど、幸いなことに考えていた方向性は同じで、二人とも古風な名前にしたいねと言っていた。最終的には、僕がはじめから言い続けていた「季之介(ときのすけ)」があっさりと採用されたが、その話はまた別の機会に。

暖房の前

ひどいつわりの時期は、出産がはるか遠くに感じていたけど、なんだかんだと時はあっという間に過ぎてゆき、妻は産休に入った。出産まであとわずか。妻のお腹の中で元気いっぱいに動いている君はどんな顔をしているのだろう。

花

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後藤孝文

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京都の海の町・久美浜で暮らし、日々の生活を写真におさめる。

(制作 * エチカ)

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