写真好きの夫婦による、それぞれの目線からお届けする、子育て写真日記。
誰にでも初めてのことはある。
だけど30代も半ばになると仕事も遊びも初めてのことはだんだんと減ってくる。
人生とは「初めて」の三角形のようなもので、上に行けば行くほどその機会は減ってくるのだ。
そしてきっとそれが貫禄とか余裕とかそういうものに繋がっていくのだと思う(たぶん)。
でも、三角形の上に行っても「初めて」は減りはするがなくなるわけではない。
むしろ頻度が減ってる分、忘れた頃に突然やってくる。
30代の半ばにそれはやってきた。
妻の妊娠である。
いつものように仕事から帰ると、嬉々とした表情の妻に妊娠したかも知れないことを伝えられた。 自分がどんな反応を示したのかあんまり覚えていないのだけれど、とにかく嬉しかった。
その日から僕はその「初めて」のことに対して、何ができるんだろうと思いはじめた。 生まれてくる子がいつか大きくなったら自分が生まれるまでの話をしてあげるために写真を撮り続けようとか、 毎日日記をつけてみようとか。 でも、頭に中にいつもあったのは名前だった。 一生変わらない自分の標識としての名前。 嬉しい時も悲しい時も、まわりから(ひょっとしたら自分からも)呼びかけられる名前。
その日からことあるごとに、生まれてくる子供のために名前を考えるようになった。
仕事中や電車の中でも思いついてはメモし、 あーでもない、こーでもないとする日々が続いた。 ある日の散歩の途中で、冬の陽がさすどうということのない風景を目にした時、 「ああ、この感じだ」と直感的に思った。
それで、いったいなにが「この感じ」なのか考えた。 その時目にした風景の中のひなたの光は、影との柔らかなコントラストの中で自分を含む世界を歓迎し、 自らの存在を誇示することによってではなく、 自分とは異なる存在の隣にただひたすら「一緒に居る」ことによって生まれる強さみたいなものを持っていた。 ひなたがひなたとして温かみを持つ時、 その隣には例外なく日陰がある。 そのまだらの構造自体がひなたの強さだと思ったのだ。
「ひなたの本当のあたたかさは、いつも日陰のとなりにいること」
そう思いめぐらせたとき名前を決めた。
「日向子」 (じつは男の子用もあったのだけどそれはまた別の機会に)
いつかキミが大きくなったら名前の由来の話はするかもしれないし、しないかもしれない。 あの日僕が見た世界のまだらの美しさについて、いつか気づいてくれたらいいなと思う反面、 そんなことはどうでもいいような気もしている。
とにかく元気に大きくなってほしい。
キミとキミの周りに幸あれ。
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PROFILE
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東京生まれ、東京育ち。デザイナー。毎月写真を1枚選ぶだけで、両親への親孝行と子どもの成長記録として使える「レター」というサービスを運営中。http://lttr.jp
(制作 * エチカ)