先輩パパとママの毎日コラム

vol.103 後藤家のちちとははの子育て日記「ときのすけが生まれた日」父編

後藤孝文 2017/10/13

京都の海の町・久美浜で暮らす後藤さん家族は、ちちとははと息子・季之介くんの3人暮らし。ちち・孝文さんが振り返る、赤ちゃんに出会う前のはなし。

昨年の七夕の夜、妻に陣痛が来た。

すでに出産予定日間近で、いつ陣痛が来てもおかしくないと構えてたけど、いざ来たらちゃんと対応できるだろうか?破水したらどうしたらいいんだろうか?と、こっそり不安に思っていた。

でも結果的に、妻の陣痛は割とゆったり進んでいたようで、妻も僕もパニックにはならず落ち着いて病院へ電話し「このままお産になるかもしれないから、入院準備をしてきて下さい」との言葉を受け、あらかじめ準備してあった入院セットを持って車に乗りこんだ。

不安に思っていたのとは裏腹に「長い夜になるかもしれないから、コンビニでおにぎり買っていこう」とのんきな事を言う僕と、「じゃあ私はおかかで」と冷静におにぎりを選ぶ妻であった。そのくらいまだ余裕がある感じで、正直、想像していた陣痛の感じではなかった(想像してたのは、おなか痛い〜!もう出てきそう〜!病院まで持たない〜!みたいな感じ)。これに関してはその時々で異なるものだろうし、多少なりとも妻はしんどかったのだろうけど、今回は穏やかに進んでいってホッとした。

病院へ着いて先生に診てもらうと、やはり陣痛が来ていたようだ。そのまま入院となり陣痛室へ入った。深夜1時半くらいだったろうか。まだまだ産まれそうにないということで、一緒に来ていた僕の両親は一旦帰ってもらい、妻の両親にも「まだ長そうだから朝になってからきて下さい」と電話で伝えた。

陣痛室へ入ってからは痛みがどんどん強まり、間隔も短くなっていった。看護師さんと妻に言われるように腰やお尻を押したり、安心できるように声を掛けたりした。てっきり陣痛室にいる間も看護師さんがサポートしてくれるのかと思いきや、その夜は他のお産も立て続いていたこともあってか全然部屋に来てくれず、迫り来る痛みと眠気の中、ふたりで永い永い夜を過ごした(おにぎりは結局僕が全部食べた)。

朝になってもまだ産まれる気配はなく、そうこうしている間にお義母さんが来てくれた。産まれる気配がないとはいえ、どんどん強くなる痛みで泣き叫んだり、取り乱しそうになる妻を見て、出産の大変さをひしひしと感じた。

ついに分娩室へ移動するとなった時には、お昼を過ぎていた。立会い出産不可の病院だったから、本当に辛そうな妻を見送りつつ、いよいよなんだなと思うと涙が滲んできた。もうすぐだ、もう間もなくだと思ってたけど、一向に分娩室から妻や先生、看護師さん、そして赤ん坊の産声も聞こえてこない。どうやら微弱陣痛になってしまったようで、陣痛促進剤を使用することになった。先生から促進剤の副反応の説明を聞いて、もしもの事があったら……と凄く不安になった。

結果的に促進剤が良く効き、その日の夕方無事に息子が誕生した。腕の中で動く息子を見て、まだふわふわした感じが残りつつも、僕も親になったんだなあと実感した。

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PROFILE 後藤孝文 京都の海の町・久美浜で暮らし、日々の生活を写真におさめる。
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