先輩パパとママの毎日コラム
2人の子どものママでもあるライター・小宮山さくらさんによる等身大の子育てコラム。
赤ちゃんがおぎゃあと産声をあげた、祝福すべき日。母親としての自分、父親である自分が生まれる日でもあります。容赦なく始まるからだの変化と赤ちゃんのお世話で、ママはそんなことを考える余裕もなく強制的に母親になりますが、男性は自分が出産しないということもあり、パパになった実感はママになった実感より弱いというか、比較的自覚するまでの変化がゆるやかであるような気がします。(もちろん個人差があるので、わたしのまわりの男性たちを見ての感想なのですが……)
70才を超えたわたしの知り合いの女性が「うちの夫は、娘のおむつを一度も変えてくれなかったのよ」「あのときのことを思い出すと、すぐにでも熟年離婚したくなることがあるわ」などと今でも言っているのを聞いて、産後のわだかまりは一生忘れられないのだなあ……と改めて感じたり。
ちなみに我が家の場合は、うちの夫はたいへんハードな仕事をしていて、朝帰りもしょっちゅう。必然的に育児は、ほぼワンオペレーションでわたしが担当していました。
おっぱいをあげるのはわたし。おむつを替えるのはわたし。泣いたらあやすのはわたし。寝かしつけるのはわたし。外に連れていくときの抱っこ係はわたし。保育園に入園するための準備や手続きは全部わたし。晴れて保育園が決まり、仕事に復帰した後、送迎する係はわたし。病院に連れていくのはわたし。子ども系の手続きは全部わたし。子どもが熱を出したときに仕事を休むのはわたし。
ちょちょちょ、ちょっと待って!し、しんどい!と、泣きたくなることもありました。
「深夜の授乳は夫が哺乳瓶で担当してくれるから、夜は好きなだけ眠れる」「毎週一回は夫が育児を全部引き受けてくれるから、自分は好きにお出かけしている」「夫が何から何までやってくれるので、まるで家にママがふたりいる感覚」などという友人の話を聞いては、うらやましくてよだれをダラダラ垂らしたりもしました。
「夫のことを大きな子ども、赤ちゃんより先に生まれた長男ちゃんだと思うとイライラしないよ」という方法を人から聞いて実践したこともあり、たしかにストレスが少し減ったような気もしましたが、やっぱり夫は息子ではないですし(当たり前ですが)、この考え方自体が夫に対しても失礼な気がして、やめました。
と、ここまで書いておいてなんですが、誤解を生まないように明記しておくと、夫は今も昔も、家族想いのとても優しい人物です。
自分が仕事を復帰したといっても、以前に比べてわたしはほとんど仕事ができない状況であり、夫はほとんど家に帰れないくらい忙しく働いてくれています。洗濯や掃除をする時間もとれませんし、深夜帰宅が続く毎日では、朝は一分でも長く寝ないととても体がもちません。
共働きで子育てをしているのだから家事も育児も公平に分担すべきというのはとてもまっとうな意見ですが、夫婦の事情は千差万別。愚痴や文句を言うのは簡単ですが、こんなときに正しさばかりにこだわりすぎると、自分の首をしめ、夫婦がお互いに摩耗してしまうだけではないだろうか……。
そう思ったわたしは、まずはゆったり、のんびり、だらりと、いつも以上に感情のねじをゆるめました。「わたしばっかり!」とキーッとなる前に、冷静に目の前の状況を考えることにしました。そして、「夫がすでにしてくれていること」についてあらためて考えてみました。
一生懸命働いてくれている。家族の暮らしを経済的に支えてくれる。休みの日は料理を全部してくれる。徹夜明けでも、保育園や学校の行事には参加してくれる。わたしが家事をさぼっても決して文句を言わない。わたしの仕事の復帰を応援してくれる。疲れていてもわたしの悩みや不安をいつも聞いてくれる。横にいてくれるだけで心の支えになっている。
以上のことを当たり前だと思っていた自分を反省して、感謝の気持ちを言葉で表すようにしました。「どうせしてくれないだろうから、自分でやる」という考えを思い直し、夫が得意なことはとことん頼って甘えてみようと思いました。
そもそもわたしだって、日々ミスばかり。100点満点の母親になったことなんて一度もありません。完璧なパパも完璧なママも、どこにもいない。いるのは、一人の人間としてのパパとママだけです。そんなことに、なんで気づかなかったんだろう……。