ヒラトコ家のチームビルディング~夫婦二人三脚で駆け抜ける子育ての日々~vol.2

つわりも笑いに変える夫

2019/7/23
つわりも笑いに変える夫 つわりも笑いに変える夫

写真は、付き合って1年が経過した頃に出かけたロンドン旅行。まさか、その1年後、たがいに父母になっているだなんて!



12年前の春。前回の記事でも先述した通り、元気が取り柄の私にはめずらしく、ずっと体調がすぐれない毎日が続いていました。それが妊娠検査薬でまさかの妊娠が判明して、信じられない気持ちとうれしさでいっぱいの数日を過ごしたと思ったら、すぐにやって来たのが厄介なアイツでした。そう、人生初めての「つわり」です……。

幼い頃、あまりにも苦しい嘔吐をした記憶がトラウマとなって、それ以来、どんなに気持ち悪くても決して吐かない体質になっていたのに、なんでしょう、容赦なく「オエッ」とこみ上げてくるあの感じは(涙)!

当時、妊娠初期は変わらずモデルの仕事をしていたのですが、突如襲いかかってくるつわりの波に翻弄される日々でした。気持ち悪さを乗り切って無事現場にたどり着いたと思ったら、撮影し出してものの10分程でトイレでリバース、なんてこともしばしば。まだ安定期前だったため、それが「つわり」であることを周りのスタッフさんに告げられなかったのもつらかったことの一つでした。

そして何より、つわり中の”とあること"に悩まされていました。
突然リバース態勢に入るのは妊婦特有の症状で仕方ないとしても、私の場合「オエッ」と始まると決まって「ゴェェェーーーー!」と、次の瞬間、もんのすごい声が出てしまうのです!
初めてその様子を目の当たりにした政治くんは、「アイツみたいだな」とポツリ。同世代のみなさまにはおわかりいただけるでしょうか、7つのボールを集めて冒険する某人気アニメに出てくる”みどり色"した大魔王。彼が口から卵を産むシーンと、「ゴェェェーーー」と謎の爆音を発しつつリバースする私の姿が重なったそうで、思わずその名前が口をついたのだとか(笑)。それ以来、私たち夫婦はつわりでリバースすることを大魔王の名前で呼ぶようになったのでした。

その後、4回の妊娠で何度この症状に見舞われたことか。1人目2人目は安定期とともにピタリと終わってくれたからまだ良かったものの、3人目4人目は、まさかの出産まで、つわりが続いたんです。今思い返しても、つらすぎて泣ける自信のあるマタニティ期の記憶です。

つわりの様子を描いているノート

でも、そんな私をいつも間近で見ていたからこそ、私の体調に人一倍、気を使ってくれていた政治くん。私が食べられそうなものを考えてご飯を作ってくれたり、出かける用事があればできる限り車で送り迎えをしてくれたり、妊婦健診も予定が合えば必ず同行してくれたり。
そして、ときにおかしなネーミングで、つわりのつらさを笑いに変えてくれたりと、1人目だけでなく、4人目まで変わることなく献身的にサポートし続けてくれたのだから、妊娠の度、いつも心の中で「政治くん本当にやさしいよなぁ」と密かに感心していました。今思えば、この頃から「#政治くん神シリーズ」はしっかりと顔を覗かせていたのです(「#政治くん神シリーズ」については、また改めて綴らせていただこうと思います)。

料理の載っている食卓 妊娠中は意識的に玄米を炊いて食べていました。おかずも、和食中心。政治くんが妊婦の私を気遣って、体にやさしいごはんを作ってくれていました。

さらに、妊娠期で何より印象的だった出来事と言えば、長女妊娠7ヵ月のときに思い切って新婚旅行へ出かけたこと!
そもそも、入籍日こそ決めてはいたけれど、結婚式と新婚旅行はタイミングをみて考えればいっかーくらいの軽い気持ちで構えていたので、突然妊娠が分かったときにも、とりあえず、おたがいに見送るつもりでいました。
なのですが、「結婚式はともかく、新婚旅行って子どもができたら行くの大変なんじゃない?」と、急にそんな話になり、つらかったつわりが安定期とともにピタっと終わったのも後押しとなって、思い切って妊娠中に出かけることに決めたのです。
しかも、選んだのはバックパッカーのような旅。当時、たまたま海外に何人かお友達が住んでいて、そのみんなを訪ねる旅を企画して、妊婦なのに大きな旅行カバンを背負って、オランダ、フランス、ベルギー、3ヵ国を電車でまたぐ、(過酷な)旅へと出かけました。
でも、後にも先にも、あんなに刺激的な時間はなかったと心から思えるくらい、濃密な旅行に。大好きなお酒が飲めなかったのは残念だったけれど、政治くんと二人で駆け抜けたあの光景は、今でもしっかりと脳裏に焼き付いているほどにステキなものでした。
妊婦だし不安だからやめておこう、って選択肢もあった中、おたがいが迷いなく「行こう!」と思えたのも、今思えばすごく幸せだったこと。そして、当時のその経験が、子どもが産まれてからも受け身な日々に落ち着くのではなく、ちょっとくらい冒険してでも子どもたち巻き込んで楽しく過ごそうゼ〜!という、私たちの子育てのポリシーに通じていったのだなぁと感じます。

Leiden、Parisを経て訪れたアントワープ。夫婦で「赴任初日」の友人宅に泊まらせもらったのは(しかも政治くんと彼は初対面!)、今でも笑い話。 Leiden、Parisを経て訪れたアントワープ。夫婦で”赴任初日"の友人宅に泊まらせもらったのは(しかも政治くんと彼は初対面!)、今でも笑い話。

さて、そんな楽しいマタニティライフもついに終わりを迎えます。
忘れもしない1月16日。政治くんの仕事終わりで、夕方から世田谷ボロ市に行こうと約束していました。
なのですが、出かける支度をしている最中、なんだかいつもとは違ったお腹の痛みを感じたのです。
「も、もしやこれが噂の陣痛??」
結局ボロ市行きは取りやめて、政治くんにはお家に直帰してもらったのですが、帰ってきた頃には痛みがどんどん強くなって、気づけば私は半べそ状態に!

不安で押しつぶされそうだった中、政治くんはとにかくスゴかった。いよいよ陣痛間隔が10分を切って産院に電話をすると「もう少し様子見て、ご飯食べたり、お風呂入ったり、今家でできることをしていてね」。そう、助産師さんに言われたままを彼に告げると、次の瞬間ものすごい勢いで動き出していたのです!

素早くキッチンに立ち、猛スピードで何やら用意していると思ったら、ボォーッ!と勢いよく上がる炎とともに、猛烈にフライパンを振っているー!!! 陣痛で苦しみながらも思わず二度見した瞬間でした(笑)。しかも、その間にちゃんとお風呂も沸いていたんです。手際良すぎ、、、

そのうちにますます陣痛が強くてなって、再び産院に電話。受け入れOKの返事が出て、結局お風呂も入れなければ、ご飯も食べられず……。そうとなったら、彼はこれまた瞬時に作ったご飯を手際よく容器に詰めているのでした。腹が減っては戦はできぬとばかりに、きっと出産に備えてちゃんと腹ごしらえさせたかったのでしょう。そんな姿が、夫というより母のような印象として強く残っています。

ちなみに、産院に到着したら少し陣痛が落ち着いてしまって、政治くんが持たせてくれたご飯は本陣痛待ちのお部屋で無事食べることができました。ご飯と卵だけで作ったチャーハン。シンプルなのにおいしいので「黄金チャーハン」と呼び、日頃から食卓に並んでいた一品でした。なんか、突然襲ってくる陣痛があまりに痛いし、未知過ぎる出産を目前に不安でいっぱいだったんだけど、黄金チャーハンを食べながら、彼のやさしさを胸いっぱいに噛み締めていました。

きっと政治くんとなら、初めての子育ても問題なくこなしていける。

その数分後に信じられない痛みがやってきて、自然分娩にしたことを心から後悔したり、産後1日目にして「こんなに泣くの?」「こんなに寝ないの?」と、初めての赤ちゃんとの生活にいとも簡単に心折れることにはなるのだけど、、、でも、今でも政治くんを心から信頼できる子育てパートナーと思えるのは、あのとき何より私を気遣ってくれた、あったかい彼の姿があってこそなのかもしれません。

赤ちゃんと対面しているasacoさん

さて、一夜明けて2008年1月17日に晴れて父と母になった私たち。次回は、子どもが生まれて改めて考えた「働き方」について。夫婦ふたりで悩みながら、やっと見えてきた私たちらしい家族の形。そんなお話へと続きます。

編集/羽田朋美(Neem Tree)

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PROFILE

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モデル・kitutukiディレクター。1978年静岡県浜松市生まれ。ファッション誌やママ誌を中心に活躍。夫のヒラトコセイジさんとケータリングユニット「マフィオ」を展開するなど、多方面で活動中。2男2女のママ。
Instagram:hiratoko_asaco

(撮影/矢部ひとみ 編集/羽田朋美(Neem Tree))

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