京都の海の町・久美浜で暮らす後藤さん家族は、父と母と息子・季之介くんの3人暮らし。父・孝文さんに聞く、子どものイベントのはなし。
子どもの行事は僕たち夫婦も大事にしていきたいと思っているけど、我が家では取りわけじいちゃん・ばあちゃんの気合の入れようが群を抜いている(どこのお家もそうかも?)。僕たちとしてもそれはありがたいし、家族みんなで子どもの成長を喜べる環境にも感謝している。
初節句の時には、僕の鯉のぼりを約20年ぶりにあげることになった。
この辺でも大きな鯉のぼりをあげるお家はすっかり少なくなり、季之介にも新たに鯉のぼりをお祝いとして贈ることはよしてもらった。それでもやっぱり大きな鯉のぼりをあげてやりたいというじいちゃんの想い(!)があり、20年近く仕舞われていた僕の鯉のぼりを取り出してきてあげることになったのである。
一言で鯉のぼりをあげると言ってもなかなか大変である。と言うのも、一番大きい真鯉は7mくらいあるから、最低でも10mほどは柱の長さがいる。元々使っていた柱は、母方の実家の山から切り出してきた檜の一本柱で、全長13m近くあった。この柱も約20年間使わずに保管されていたにもかかわらず、いい状態で残っていた。さすがに13mは長すぎるので、10mまで短く切り落とした。3m短くしてもまだまだ長いし、木の柱なのでめちゃくちゃ重い。
そしてここからが本当の踏ん張りどころである。柱を立てる土台を地面に設置するために、2mほど地面を掘らなければならない。しかも人力(スコップ)で……!
長年踏みかためられた庭の土は、スコップがなかなか入らないほどガチガチで、開始数分で「2mなんて絶対無理だ……」と思うほどであった。それでも気合と根性で掘り進め、途中から登場したエンジン付きドリルの力も借りつつ、なんとか目標の深さまで掘り下げ、無事に土台を設置することができた(半日かかった)。
柱を立てる時には隣家のおっちゃんたちの手も借り、長い長い檜の柱を無事に立てることができた。そして鯉のぼりをあげ、みんなで見上げて喜んだ。季之介もまだよく分かってない様子だったけど、がんばって見上げていた。
とても大変だったけど、僕が小さい頃にも、こんなに大変な思いをして鯉のぼりをあげてくれていたと言うことが身にしみて分かった。そして、季之介も家族も近所の人たちもみんな喜んでくれた様子を見て、やってよかったなと心から思った。
今年も季之介は頑張って見上げている。屋根より高い鯉のぼり。