妊娠したとき、心拍を確認したとき、母子手帳をもらったとき。そのときの様子を布作家のハヤシチエさんがつづってくれました。
はじめまして。ハヤシチエと申します。フリーランスで縫製の仕事をしながら10才の女の子と7才の男の子を育てています。このたび出産と子どもとの暮らしにまつわるお話をさせていただけることになりました。(上の写真は、へその緒と、娘のイニシャルを刺繍したへその緒袋。右は里帰り中、移動写真館で撮影してもらった生後間もない娘と私です。)
今回は長女の妊娠が判明したときのことを振り返ってみたいと思います。妊娠しているかもしれない。そう思ってはじめて産婦人科を受診したのは2009年10月のことでした。
「おめでとうございます。妊娠されていますね。」
診察後、先生が超音波写真を手渡してくれました。目を落とすとモノクロの濃淡の中に小さく豆のような袋。袋の中に小さく何かが見えます。
「これが私の赤ちゃん…」うれしさと驚きと不安がごちゃまぜになったような複雑な気持ちでした。
妊娠発覚といえば、テレビドラマや物語の世界で定番の、「うっ…」と急な吐き気に襲われて妊娠に気がつくシーンを想像していた私。
特に体調の変化も感じないまま、目の前にいる先生にそう告げられてもなんだか実感が湧きません。
もちろんうれしくておなかに手を当ててみましたが、自分の中にもうひとつ生命が宿っているということがイマイチ、ピンと来ませんでした。
「2週間ほどしたらまたいらしてください。心拍を確認したら区役所で母子手帳がもらえますからね。」
そう告げられ、ふわふわ夢の中にいるような変な気持ちで毎日を過ごしました。そして2週間後、赤ちゃんの経過を確認するため産婦人科を再訪します。
超音波の映像をリアルタイムで先生が見せてくれます。今日はモノクロの画面にチカチカと小さな点滅が見えました。
「ほら、ここが赤ちゃんの心臓ですよ。心拍が確認できましたよ。」
(おお!私の中で赤ちゃんの心臓が動いている!ほんとにいるんだ…。)
喜びでいっぱいな一方、やはり妊娠出産がどこか遠い世界の話のような気がして気持ちはふわふわ。夫に報告の連絡を入れ、病院を後にしたその足で、近くの区役所に母子手帳を申請に行きました。
区役所では職員さんが、お祝いの言葉とともに母子手帳と、バッグなどにつけるマタニティマーク、母親学級の案内などを手渡してくれました。
「こちらにご両親のお名前をお書きください。」
職員さんが指さした先に目を落とすとそこには「保護者の名前」の文字。「ほ、ほ、保護者!!」そのとき、「保護者」の3文字が電流のように私の脳内を駆け抜けました。
子どものとき、学校でもらう親に渡すプリントに書かれていたあの「保護者」の文字が、目の前の母子手帳の文字と重なる。
連想ゲームのように私の手をひいてくれた母の面影が浮かび、自分に重なり…子どもを抱いた自分の姿がぼんやりと脳裏に浮かんだのでした。
名前も決まっていない、ましてや性別もわかっていないけれど、私たちはもうこの小さな命の「保護者」なんだ…。そう考えた瞬間、おなかにほのかに温かさを感じた気がしてうれしくなりました。不思議なもので、私は妊娠検査薬のプラスマークを見たときよりも産婦人科で妊娠を告げられたときよりもこの「保護者」欄に自分の名前を書いた瞬間、親になることを強く実感したのでした。
その日から今に至るまで、嫌というほど子どもにまつわる書類の「保護者」欄に自分や夫の名前を書くことになるわけですが…(笑)。
意外と子どもが大きくなるまで使う母子手帳。今でも表紙にある自分の名前を目にするたび、自分を「おかあさん」なんだと認識したあの日のことを懐かしく思い出します。
PROFILE
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布作家。インテリア会社を退職後、長女の出産をきっかけに洋裁にはまり、子ども服から小物まで様々なモノを縫うようになる。今は自宅で縫い物の仕事を行なっている。
(制作 * エチカ)