ドイツ人の夫と愛娘・スーちゃんと3人で暮らす酒井咲帆さんによる、出産&子育てコラム。
「母乳で育てたい?」と子どもが生まれる前によく聞かれた。その都度「うん……。」と言っていたものの、あまり腑に落ちてないというか、そもそもなぜそういう質問が来るのか疑問だった。
母乳外来という母乳に関する専門の診療所があるのも生んでから初めて知った。
そして娘が1才になった今では「完母ですか?」と聞かれる。「完全な母ですか?」みたいな感じでYESとは言い切れないけど、「は、はいー……。」と答える。
聞かれる度に質問の意図はよくわからないけど、とにかくその人のやり方でしか育てられないんだから、母乳でもそうじゃなくてもどちらでもいいと思うし他の人のことはあまり気にしなくていいと思う。でもなんとなく、おっぱいのこと知らないってなんかもったいないな~と、おっぱいをあげ続けている今は思ったりもする。
私は助産院で生んで、産まれた瞬間から助産師さんが「おっぱい飲ませなさい~。」とへその緒が繋がった赤ちゃんをそのままおっぱいの上に寝かせてくれて、赤ちゃんもまだ目も見えてないのにおっぱいを探し始めて(飲めてなかったけどくわえてた)『すごい!!!』と思ったのが始まりだった。
なので娘が地球に生まれて一番初めにしたことは「おっぱいを探してくわえた」と言える。私のおっぱいはと言えばそんな娘に応えられず全く出てなかったけど。「生まれてからの3日間が勝負」「とにかく絞りなさい」「吸わせなさい」と助産師さんには言われ、助産師さんから絞り方を習って一緒に絞ってもらったりもした。
飲ませるときは小さなコップを使い、こぼしながらだったけど生後1日目でも上手に飲んだ。3日目になってもあまり出てなかったけど、諦めなかったのは「完母で育てたい」とか「母乳がいい」とかそんな思いからじゃなくて、助産師さんが私以上に必死で私のおっぱいを大事に思ってくれたことと、娘がおっぱいを飲む姿が可愛かったから。母になることがどういうことかまだわかってない私に、「こういうことだよ。」とさりげなく言ってくれたような気がして、そういう気持ちがおっぱいの日々へと向かわせてくれた。
次第に出るようになった私のおっぱいは、どんどん膨らんで乳腺炎にもなった。そのおかげで、近所の『おっぱい110番』(本当にこの名前の病院)にもお世話になり、おっぱい先生と衝撃の出会いもあった。おっぱい先生からは、おっぱいのメカニズムや、産後クライシスのこと、母乳育児についてなどなど、おっぱいマッサージを受けながらいろんな話を今でも伺ったりする。おっぱいの歌まで作ってCDも販売していた(笑)。
乳腺炎になって病院へ行くと、点滴を打たれることが多いようだけどマッサージで治る場合もある。というかそういうことを事前にちゃんと知っておかないと、自分が思っていたような育児ができないこともあるな、とこのとき初めて知ることになる。
私は仕事をしながら母乳育児をしている。夫が私の仕事中に娘を連れて母乳をもらいに来てくれたりして、でかけてくる夫は、娘とおっぱいのおかげでたくさんの友人ができた。そして娘も、成長を共にして家族のように慕ってくれる人がたくさんいる。
最近では娘に歯が生え、機嫌が悪いときはおっぱいを噛むようにもなった。大好きなおっぱいを噛むときは決まって悪い顔をする。多分、おっぱいが美味しくないとか、ママは今私(娘)以外のことを考えているとか、そういうことを読み取られているのかもしれない。そんなとき、お互いを信頼し合わなければ、このおっぱいはいつか引きちぎられるかもしれないと怖くもなった……。
こうやって思い出すだけで、おっぱいを巡っていろんな出来事があったんだなと振り返る。もし「おっぱい」が自由に使える環境があるんだとしたら、使わない手はないよ、と言ってみたくなったので書いてみた。
PROFILE
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写真家・ALBUS代表。2009年まで九州大学USI子どもプロジェクトの一員として「子どもの感性」を育める居場所づくりを行う。09年に写真屋『ALBUS(株式会社アルバス)』を福岡市中央区警固に設立し、写真現像・プリント・撮影・企画などを行いながら、写真屋とは何かを日々実践中。2015年にスー(娘)が誕生、ドイツ人の夫と3人暮らし。著書『いつかいた場所』(2013)/展覧会『神さまはどこ?』太宰府天満宮(2014)、『いつかいた場所』水戸芸術館(2011)、福岡県立美術館(2014)
http://www.albus.in/
(制作 * エチカ)