3人兄弟のパパであるミヤモトタクヤさんの子育てエッセイ。今回は出産のこと。
3人の息子が生まれる際、私は運良く3人とも出産の瞬間に立ち会うことができました。長男は実家近くの年季が入った病院、二男はバスで通った一軒家を改装した助産院、三男は最寄り駅の商店街を抜けた産婦人科の病院で生まれました。
子どもがお母さんのお腹の中から誕生するタイミングは選べません。家に居るときならいいのですが、仕事や何かの都合で遠く外出しているとき、「もし、いま破水があって生まれることになったらどうしよう…」と、出産予定日近くになるとずっとビクビクしていた気がします。
そんな、3人の出産にはそれぞれ忘れられないことがありますが、とくに思い出深いのは、二男が誕生した助産院で過ごした時間でした。
二男の妊娠がわかったのは、長男が3才の頃。赤ちゃんができて検診や出産を行うところは、長男のときと同じように産婦人科の病院と思っていました。でも、妻から「助産院を選ぶ」と聞いたとき、病院とは何が違うのかわかりませんでした。
評判を聞いて通った助産院は、最寄り駅から15分ほどバスに乗り、バス停から少し歩いた住宅街の一角にある2階建ての一軒家。私は、まだ小さかった長男と手を繋いでバスに揺られ、道中を会話し、ゆっくり助産院へ向かう時間がとても好きでした。
いま思うと、赤ちゃんを迎えるのが2回目ということもあり、私自身が少し落ち着いていたのかもわかりません。通院するバスと徒歩のゆっくりした時間の流れの延長で、助産院の先生と穏やかにお話しをしながら出産の日を迎えられたのを記憶しています。
3人の子どもたちが誕生したのは、すべて違う病院や助産院。妻はいろんな方からアドバイスや検査を受け、そして出産はもちろん産後のお世話をしていただきました。
妻が通院中、私も付き添ってお話しを聞いたり、もうすぐ兄になる長男や二男を連れながら診察時間を過ごしたりしていました。院内の待ち合いの場では、私と同じように付き添いで来られている妊婦さんや旦那さんとお会いすることもありました。
こういう場では、妊婦さんたちはすぐに仲良く話されていくのに対し、旦那さんたちとは何度顔を合わせてもなかなか話せないもの。とくに1人目のときは、若さや緊張から他人に構う余裕もなく、あの時はもったいなかったなあ……と、いまは思います。
2人目以降の通院では、幼い長男や二男を連れていたことから話すきっかけも増えて一変。子どもと絵本を読んだり絵を描いて待ちながら、妊婦さんや旦那さん、看護婦さんらと挨拶や「待ち遠しいですねー」とか「出産のご予定日は?」といった会話で緊張をほぐしてもらったような気がします。
そして、いよいよ迎えた出産日。
これまでタイミングよく、息子3人が生まれる瞬間に立ち会いました。妻の陣痛のタイミングが短くなって破水があり、赤ちゃんが産道を通って……誕生〜!と文字にすると短いですけど、実際は1日近くかかったことや病院到着後30分内で生まれたこともありました。
生まれてすぐの赤ちゃんは何回見ても、驚くほどの小ささ!しかも、びしょ濡れで、不思議な色!何ヵ月も待って対面できた嬉しさの後は、「ちゃんと呼吸してる?」「寒くないんかな?」「顔色悪い?」などなど喜びと心配の気持ちがごちゃまぜ。
出産を終えた妻は、喜びいっぱいながらも疲労困憊の状態。私はおめでとうとありがとうの言葉をかけるくらいしかできません。手際の良い看護婦さんには、「お父さんはどうぞあちらで待っててくださいねー」と促され、出産に3度立ち会っても、スマートにこなせたことはありません。
出産後すぐは、事前に用意していた荷物を持ってくるとか、家族親類・友人・仕事先などへの連絡、入院・退院の調整、出産費用の準備とか、いきなり慌ただしい用事がドドドと押し寄せてきます。妊娠中に夫婦で事前にリストアップしておくのが大切です。
なかでも、やっぱり忘れちゃいけないのが写真を撮るためのカメラ。いざ、出産!というときに「バッテリー切れ」や「電源落ち」、「操作が分からない」(看護婦さんに撮ってもらうときアタフタさせちゃう)といったことがないよう、万全の準備をお忘れなく。
出産時の慌ただしいなかでも押したシャッターは、自分自身の人生はもちろん、妻や生まれてきた子どもが「生まれてきたとき、こんな感じだったの〜!?」と、その後もずっと見返すことのできる大事な記録になりますよ。
PROFILE
ミヤモトタクヤこのライターの記事一覧
1973年大阪生まれ。有限会社モノグラム取締役・ディレクター。毎日写真を撮ったり、絵を描いたり、Webや本をつくったり。週末は地域の子どもたちとボーイスカウト活動に奮闘中。
http://miyamototakuya.com
(制作 * エチカ)