先輩パパとママの毎日コラムvol.571

サンフランシスコのんびり子育て日記「アメリカで保育園デビュー 〜メキシカン肝っ玉母さんの愛に包まれて〜」

2023/3/14
サンフランシスコのんびり子育て日記「アメリカで保育... サンフランシスコのんびり子育て日記「アメリカで保育...

コミックやアートブックの翻訳出版を手がける神戸一絵さんがサンフランシスコを舞台に繰り広げる初めての妊娠・出産・子育ての物語。今回は娘さんが生後10ヵ月から通ったデイケア(小規模保育園)についてのお話です。

こんにちは。2才8ヵ月の娘が突如空想上のヒヨコを飼い始め、毎朝ヒヨコ用に小さな朝ごはんを用意している神戸です。

我が家の一人娘は生後10ヵ月から日本に帰国する1才4ヵ月までの半年間だけ、アメリカのデイケア(保育園)に通っていました。

すみません、しょっぱなからお金の話です。大阪人の性。ベイエリア(サンフランシスコと周辺都市を含む湾岸地域の総称です)の物価はアメリカ屈指、今も上がり続けていますが、デイケアの保育料は安くて月額3,000ドルくらい(当時のレートで30万円強)、上を見れば青天井でした。国からの助成はありません。「デイケアの間は貯金を切り崩して生活する」というのはよく聞きましたし、収入が安定し貯蓄ができてから、30代後半〜40代になって子どもをもつ選択をするという人も多いようでした。

給料が保育料にすべて消えようとも仕事は辞めたくなかったので、家から車で15分のデイケアに入ることに。そこにした決め手は、住んでいた地域の平均より安いという金額面のメリットもありましたが、それ以上にアットホームな雰囲気でした。自宅でやっている小規模保育園(預かる人数は最大6人)で、メキシコから移住した母娘が運営していました。教育的な活動や多くの人との交流も魅力的ですが、まだ1才にもならない我が子に必要なのは人との信頼関係や人の温かさ、ざっくばらんに言えば「近所の親戚んちで安心して過ごしてる感」だと思ったのです。

保育者の息子さん。コロナ禍で彼の学校は休校が多く、娘とよく遊んでくれていました。保育者の息子さん。コロナ禍で彼の学校は休校が多く、娘とよく遊んでくれていました。

デイケア生活が始まってみると、「慣らし保育」なんてものはなく、「泣いて手がつけられないようならいつでも迎えにきます」という私に”Let’s see how it goes.”と余裕の先生。「まあ、プロに任せなさい」という感じで娘を優しく抱き上げ、笑顔で別れました。なんと初日から8時間、泣くことなく昼寝も食事もし、元気に過ごして帰ってきました。オムツは買った時のパックのまま渡し、着るものの記名も必要なし。この気楽さ、まさに親戚。

細かいミルクや食事の与え方はチャットアプリを通して随時連絡していました。細かいミルクや食事の与え方はチャットアプリを通して随時連絡していました。

とはいえもちろん正規のライセンスを取得している方でしたし、散歩はなかったですが広い庭があり、夏は水遊び、母の日には工作と工夫してくれていました。ベビーサインも取り入れ、お別れする頃には”please” “more” “red”などいくつかのサインができるようになっていました。

温かく雨が少ない春〜夏に通っていたので、よく一日中庭で遊んでいました。温かく雨が少ない春〜夏に通っていたので、よく一日中庭で遊んでいました。

通っていた子の年齢は1才〜4才。少人数でしたが国籍、人種も様々、保育中は英語とスペイン語が飛び交います。娘は“Arriba!”(スペイン語で”up”の意)の掛け声で人生初の一歩を踏み出しました。朝、私と別れる時に娘が泣いたのは半年間で一度だけ。いつも吸い込まれるように先生の腕の中へ自ら飛び込んでいっていました(母、嫉妬)。アメリカの小さな保育園での経験は、娘にとって大きな刺激と愛に満ちたものになったようです。

神戸一絵

PROFILE

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大阪府出身。2019年に渡米し、現地のサブカル系出版社に勤務。2020年にサンフランシスコで第一子(一人っ子予定)を出産。現在は神奈川県鎌倉市在住で、子育てをしながらフリーランスでコミックやアートブックの翻訳出版にたずさわる。鎌倉の丁寧な暮らしとアメリカの合理的な子育てのハイブリッドを目指している。

(制作 * エチカ)

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