先輩パパとママの毎日コラムvol.18

ハルちゃんと僕「生まれた日」

2016/6/14
ハルちゃんと僕「生まれた日」 ハルちゃんと僕「生まれた日」

アムステルダムに暮らしながら写真家・文筆家として活動する小野博さんの、愛娘・ハルちゃんとの日々

陣痛の始まった妻を乗せたタクシーは出産センターに到着した。妻を車椅子に乗せて分娩室に入ると、そこはまるでデザイナーホテルの一室のようだった。 「あら、ずいぶんキレイな部屋だね」と妻の方を振り向くと、陣痛で顔を歪めていた。部屋がどうとかこうとかではないらしい。

ベッドに横になる妻

妻をベッドに寝かせると、助産師さんはテキパキと子宮口の大きさを測ったり、胎児の心拍数を確認したりし始めた。結果、出産にはまだまだ時間がかかるようだ。

しばらくすると妻は体を丸めて「なにこれ、なんなの、いたぃ、いたぃ、いたぁぁぁぁぁぁい」と大声で呻きはじめた。それでもなかなか出産にはいたらず、しばらくお風呂に入ってみたり、床に座ったり、寝転んだりしてなんとか陣痛をやり過ごしていた。

痛みはピークに達したようで、涙を流しながら言葉にならない声を上げ始めた。しばらくして助産師さんが子宮口が充分開いたことを確認して、器具を使って破水させた。

とうとう出産体勢に入ったようだ。

助産師さんが大声でイキむタイミングを連呼し、妻もそれに合わせてイキむのだが、何度やっても赤ちゃんが出てくる様子がまったくない。イキみ続けるのも大変だし、妻を励まし続ける助産師さんも一苦労だ。臨戦態勢に入って3時間が過ぎ、妻も疲労困憊し意識が朦朧としている。終始笑顔だった助産師さんからすっかり笑顔が消えた。

僕も不安に押しつぶされそうになっていたが、当事者の妻と助産師さんの方がもっと痛切にどうなるんだろうと思っていたにちがいない。そして助産師さんと産婦人科医が相談した結果、妻は同じフロアにある産婦人科の分娩室で出産することになった。

しばらくして娘はやっと世界に出てきてくれた。娘を見た瞬間、自然に涙が溢れた。

すごいな。こんなことってすごいな。

産婦人科医が娘を看護婦さんに渡しながら「赤ちゃんの名前はもう決まっているの?」と聞いてきた。僕は「ハルコです」と答えた。それを聞いた周りの看護婦さんが「ハルコね、ハルコ。うん、とってもいい名前ね」と褒めてくれた。そしてホワイトボードに「ハルコ」と書いた。目の前の赤ちゃんの名前が「ハルコ」になった瞬間だった。

ハルコ。

ハルコにしてよかった、すごくいい響きだ。

ホワイトボードに書かれた娘の名前

難産だった娘はそのまま保育器に入れられNICUに連れて行かれた。15時までに出産すると即日に母子ともに家に帰るオランダではなかなかないことだ。僕と妻は産婦人科のフロアにある部屋に案内された。その部屋にはオランダで子どもが誕生した時に振舞われる丸いラスクにアニスの実が乗ったお菓子が用意されていた。僕らの子どもは女の子だったので、あざやかなピンク色のアニスの実がトッピングされていた。おめでたいものだし、せっかくだから食べようと、二人で1つのお菓子を頬張った。

鮮やかなアニスの実のお菓子

精も根も尽き果てた妻と話しながら、あらためて出産をした妻を凄いなと思った。

おつかれさまでした。

それから5日後、やっと妻と娘は退院した。その日はとても天気がよかった。娘を抱えてタクシーを降りて、家に入るとそこには爽やかな陽が差し込んでいた。

「せまいけど、これから君が住む家です」と言うと、娘はそれに答えるように大きなアクビをした。ベッドに置くとすぐ眠りに落ちた。

そういえば出産から慌ただしくてメールすらチェックしていなかったのを思い出し、溜まったメールに返信をしていると、娘の方から春のそよ風を感じた。

すごいな。

これが新しい生命というものなんだ。

僕はコンピューターから離れ、ベッドで寝ている娘を眺めていたらあっという間に1時間が過ぎていた。娘をずっと眺めているだけでいい仕事があったらぜひその仕事につきたい、とその時切実に思った。

小野博

PROFILE

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写真家・文筆家。2002年よりアムステルダム在住。著作に世界を旅した記録を綴ったエッセイ集『Line on the Earth ライン・オン・ジ・アース』(エディマン)、日本とアムステルダムでの暮らしを綴った『世界は小さな祝祭であふれている』(モ・クシュラ)など。

(制作 * エチカ)

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