タイ・バンコクを拠点に活動するクリエーター・hironocさんに伺った、妊娠・子育てエピソード。
完全母乳で育てよう!など強い希望などもなく、母乳で育てられて欲する限りは続けられたらいいな〜なんて呑気に始まった育児。
始まってみたら予想外に完全母乳で過ごすことができ、いつでもどこでもあげることができて、なんて便利なんでしょう!と母乳の偉大さに感動。と共に完全に母乳に頼りきってしまっていたため、後にこんな大変なことになるとは、このときはまだ思ってもいませんでした。
1才4ヵ月頃までは、予防接種以外でお熱を出すこともなかった息子も、歩き始めた頃から幼稚園(ナーサリー)へ通い始め、今までかかってこなかった病気に一気にかかることになりました。幼稚園で流行り始めました!というものにはすべてかかり、半年の間にまさかの4回も入退院を繰り返すという事態に。
そろそろ卒乳かな?なんて思っていましたが、体調を崩すたびに母乳を欲する回数は増えゆき、生産量の落ちていた母乳工場フル稼働再び!のループへ突入。
体調を崩して診察へ行った際、食事の代わりに母乳を飲むようだったら積極的にあげるようにとアドバイスを頂き、薬と母乳をあげていたものの、病状は悪化する一方で夜間救急でお世話になったときのこと。夫に付き添ってもらい病院にたどり着いてこれで少し安心!と思ったら、母乳をあげすぎていて私自身気がつかないうちに脱水症状になってしまっており、息子より私が危ない!と別室へ運ばれる羽目に。
高湿度な国なのに唇は割れ、口はカラカラ、手足は痺れ、頭痛に吐き気で意識は朦朧とするなか、夫は救急の先生に、息子は私から離れると大泣きするし、母乳が……と説明していましたが、「僕にも子どもがいるから分かるけど、妻の命が大切だろう!」と怒られているのを聞き、私このまま死んだりしてしまうのだろうか?と不安になりました。
そこからは意識が飛び飛びで記憶が曖昧ですが、点滴してもらったり、先生の懸念していた病気の検査をしたり。結果、緊急性はなかったので息子が入院中に必ず受診するように説明され晴れて息子と同じ病室へ。
数時間だけ離れ離れでしたが、夫は疲れ果てて顔が土色に。そして、息子は泣き疲れて寝ておりました。
夫も母乳を言い訳に息子と2人きりになることを避けてきたので、こんなタイミングでしたがガツンと言ってもらえてよかったのかもしれないなと思うと共に、私ももう少し早めに夫に協力をお願いしていればよかったことや、息子のことで頭がいっぱいで自己管理ができていなかった事を反省するきっかけにもなりました。
その後、息子が回復しても、弱った私が二次感染。母乳のため強い薬は飲めずいつまで経っても回復せず、家族が共倒れしないためにも少しでも早く卒乳したい!と強く思うように。
タイミングをみて友人や先輩から聞いたことや、卒乳について調べてトライしてみたりでしたが、そんなに簡単に卒乳できるわけもなく、一周回ってもう欲する限りは卒乳せず続けてみようかな?と思った矢先。
息子が赤ちゃんの頃から仲良くしてもらっているママさんや子どもたちと久々に会う機会がありました。
贅沢なご褒美のスイーツを目の前に、ゴメンよ……と思いつつ、子どもたちはまだ食べられないので、味の薄い赤ちゃんおやつをあげていました。でも「大人たち何やらいいもの食べているな?」と思ったのか、いつもはおかわりを要求してこない息子が、もっと!もっと!とねだってきたのです。
自分だけおいしいものを目の前で食べてしまっている罪悪感もあり、おかわりのおやつをあげていたら、帰宅後も夕飯をモリモリ食べて母乳を欲しがらず就寝。翌日からもごはんをモリモリ食べて母乳は欲しがらず。
あれよあれよと1才7ヵ月に卒乳。
もしかして、今までおなかが空いていただけだったのか?
私の見極めができていなかったために、途中無理強いしてしまって本当に申し訳なかったですが、自然に息子のタイミングで卒乳できたおかげで、その後体調を崩したりしても欲しがることもなく、拍子抜けな卒乳となりました。
PROFILE
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ブリコルール(寄せ集めてものを作る人)。タイ・バンコクを拠点に、写真と色のきれいな布や紙などをコラージュしてものづくりに取り組んでいる。
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(制作 * エチカ)