書籍や雑誌のデザイナーとして活動する高橋倫代さんが綴る、パパと節分産まれの息子さんとの幸福いっぱいの日々。今回は妊婦生活と出産についてです。
最初に妊娠に気づいたのは夫でした。普段から怒りっぽい私の情緒が輪をかけて不安定な状態が続き、『これはさすがにおかしい、何かある…?』と感じたそうです。
私は結婚をする前から子どもを望むべきかどうかずっと迷っていました。
子どもを産んだら今までのような、何よりも仕事が楽しい!休日も昼夜も問わずにやるぜぇ!!という働き方はきっとできなくなる。仕事以外の大切なものを増やしていくことに罪悪感のような感情を抱いていました。だけど逃げようもなく毎年1才ずつ年齢が上がり“高齢出産”という単語を目前にしたときに、夫が父親になれる可能性が消えてしまうかもしれない焦りと、もし望んだとして子どもを産むことができるのかどうかの不安の方が自分のなかでずっと大きなものになっていました。仕事に対する情熱や想いが甘いのではないかという葛藤は抱いたまま、それでも子どもを持たない人生を自ら選択するコトができずに『授かれるなら産みたい』と、夫に伝えました。
身体が丈夫で体力に自信のあった私は、もちろん無理をし過ぎない範囲で出産予定日ぎりぎりまで働くつもりでいました。しかし、めでたく妊娠が発覚してからまだ1ヵ月も経たないころに突然の出血。幸い大事にはいたらず赤ちゃんは無事だったのですが、子どもの命を預かっている立場では想像していた以上に身体に負担をかけられないのだと知りました。
そして想定を超えた勢いで襲ってくるつわり。記録的酷暑のまっただ中、ある日突然いっさいの水分を摂取することができなくなって脱水症状を起こし、緊急入院することになりました。そこではじめて、目の前にやらなくてはならない仕事があるのに、どんなに気合いを入れても身体が動いてくれず何も対応できないという経験をしました。
意思の力だけでは自分自身をコントロールできず“頑張れない”という感覚にすっかり自信をなくし、妊娠中は新しいお仕事をほとんどお受けせず、さらに産前のお休みも当初の予定よりもかなり早い段階で入ることにしました。そして同時に産後の仕事復帰に対する見通しもぐらりとゆらぎ、万がいち体調が戻らなかった場合に無責任になってしまうと思って、それまでやらせて頂いたお仕事は『お休み』ではなく一度すべてやめさせて頂くことにしました。
おなかに宿ってくれた命がとてもとても大切なのに、そもそも自分で選んだことなのに、だけど仕事をすべてなくしてしまったことが悔しくて、さらには予定日が近づくにつれ出産とその後の育児に対してもどんどんと不安がつのってくばかりで。変わっていく人生に対して覚悟が全く追いついていきませんでした。
そんな私のおなかの中にいても子どもはすくすくと順調に育ってくれて、無事に迎えた出産。
いよいよ陣痛の感覚が短くなり分娩台の足元で助産師さんもスタンバイOK。もう産まれるのか!…と思いきや、子どもはなかなか出てきません。猛烈な痛みでクラクラとしつつもなんとなーく何かが出てきそうな感覚はあるのに、どうやらそこから進んでいないようです。出産に対してどこか逃げ腰だった私はそのときになってようやく、おなかの中にいる子は私が産まなければこちらの世界にこれないのだということを自覚しました。その瞬間『この子を産みたい!!!』という思いが強烈に沸き上がってきて、頭の中にあったその他すべてのコトが吹き飛んでいきました。
そうして産まれた息子は、産前に抱いていたイメージを軽く超えるほどただただ愛しい存在でした。腕に抱くとずっしりと重く、顔をそうっと触ってみるとほっぺたがふわふわとしていて。小さな身体を見ていると妊娠中にあれやこれやと悩んでいたのがウソのように、やわらかな幸福感で満たされていきました。出産直後の分娩台の上、ひゅぇぇふぇぇと泣き続ける息子を抱きながら、私はこの子を育てていけるだろう、絶対に大丈夫だろうなとひどく安心したことを覚えています。
PROFILE
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グラフィックデザイナー。本の装丁や雑誌のデザインなどを主に手がける。2月3日の節分に産まれた男の子と夫の3人暮らし。
http://takahashitomoyo.com
(制作 * エチカ)