里帰りをするか、しないか。そんな小さな選択のひとつひとつが「家族」の大切な宝物になっていくようです。
実家から遠く離れた土地で共働きというご夫婦は多くいらっしゃると思います。その状況で赤ちゃんを授かったとき、考えることはいくつもあると思いますが、比較的早い時期に決めなければならないことのひとつが、どこでお産をするかということ。そして私たちにもその選択をしなければならないときがやってきました。
妊娠がわかって間もない時期は、まだ子どもを出産し育てるということにピンときていないというのが正直なところ。家族が増える喜びを噛み締めるのも束の間。なんだか想像もつかない世界が刻一刻と迫ってくる不安やプレッシャーがありました。誰かに頼ったり甘えたりという選択肢をあまり持ち合わせていない私は、今にして思えば、その迫り来る現実に立ち向かおうと随分気負っていたと思います。体は毎日変化し、長い時間をかけて心身ともに母親になる準備をしていることを感じます。「それに対して夫はどうなんだろう?」頭で準備しても体や心がついてくるのだろうか。実際つわりや大きなおなかを抱えてあくせくしている私に、代わってやることもできないと戸惑う夫の姿を度々目にしました。
想像しうる未来の気持ちや事柄について、頭の中の大きな天秤に一つ乗せ、下ろし、を繰り返しました。例えばこんなこと。
- ・大きなおなかで具合が良くないときなど、親に存分に甘えられるタイプではないな。
- ・通い出した産婦人科の先生や助産師さんとの関係を築きながら出産したい。
- ・産後小さな赤ちゃんを抱えて新幹線の移動は不安だな。
- ・何より夫の支えは絶対条件。
- ・大変なことがどれだけあったとしても、夫と一緒に親になりたい。
天秤にかけた結果、やはり里帰りをしない選択が私たち夫婦には合っているようだ、という結論に達しました。元気な赤ちゃんに出会うことはできましたが、初めての出産は緊急帝王切開。おなかの傷がまだキリリと痛む中、退院。そんな予測不可能な現実から始まった初めての子育て。
病院にいたときは朝から授乳や沐浴、オムツ交換までスケジュールがなんとなく決まっていたし、どんな些細なことでも相談できる助産師さんに囲まれていました。
不安しかない新米ママをよそに、赤ちゃんは朝も昼もなく寝て起きて泣いて。大いに振り回され基本的な家事もままならない日々。夜中泣いても、隣近所、仕事をしている夫を起こさないように気を使って、小さな赤ちゃんを抱きかかえ寝室から離れた暗闇でゆらゆら。心身ともに疲れ果て、孤独感に苛まれ「なんで里帰りしなかったんだろう」と後悔したこともありました。日中といえば、気にかけてくれていたお友だちにも助けを求めることすらできず、ただ子どもを抱いたり眺めたり。
ベビーベッドで気持ち良さそうに眠る娘を見つめていたあるとき、なんでも背負ってしまう自分の性格に気づきました。これでは大変なことだけでなく楽しいこともうれしいことも分かち合えない。どんな細かいことでも夫に伝えよう、甘えよう。
それからは夫もオムツを替えたり沐浴したり。おっぱいの後のゲップも上手になりました。徐々に私自身も気持ちに余裕ができて、それと同時に夫はお父さんとしての実感が湧いてきているようでした。きっと私が一人で抱え込んでいただけで、手助けする隙もなかったのかもしれません。
そんな葛藤も7年経った今は、なんだか気恥ずかしく初々しい初めての育児の思い出。育児に関わらず頼ったり甘えたり感謝したりが自然とできるようになったことは夫婦生活においてもすごく重要だったと感じます。