写真好きの夫婦による、それぞれの目線からお届けする、子育て写真日記。
乳児の生き様、眠る食べる排泄する、と極めてプリミティブでかっこいい。生きるために必要のないことには興味がない、というかほとんど不快といった様相。
— 伊野妙 (@eatoooni) 2012年1月8日
眠る食べる排泄する、の短いサイクルの繰り返し。そのひとつひとつすべてに手助けが必要だから、こちらも24時間営業で赤ちゃんの世話をする。
授乳は昼夜問わず2~3時間ごと。お風呂は手首をぷるぷるさせながら沐浴。また、授乳のあとげっぷがなかなか出ない、抱っこで寝た子どもをベッドに置いた途端に起きる、などの“あるある”なトラブルももれなく通過して、そりゃあまあ、てんやわんやだった。
ただ、このあたりは一応、産む前から知識として知っていたことだったし、ある程度覚悟はできていたので、まあこんなもんなのかな、やるしかない(押忍)、という感じだった。
ところが、予備知識がなくて、あるいは想像力が足りていなくて、「えー!」となったことも幾つかある。
まず、地味な誤算として、いわゆる授乳間隔には、授乳している時間も含まれている、ということがあった。授乳の開始時間と次の開始時間までの間が授乳間隔なので、授乳に30分かかったとして、既に残り2時間半。子どもが集中して飲まなかったりして、1時間くらいかかることもある。すると残り2時間。たかが30分や1時間くらい、とその渦中にいない人は思うだろうが(喉元を過ぎてしまえば当人だって思う)、この僅かな誤算に目くじらを立てるほど、とにかくまとまった時間がない。30分でも1時間でも失うのが惜しい、というのが、新米母となった当時のわたしの心境だった。
また、娘はものすごくよく泣く子で、寝ている時とおっぱいを飲んでいる間を除くと、起きてる時間の半分以上は泣いていた。抱っこであやして、機嫌なおったかな、と置くと、また泣く。ふにゃふにゃとご機嫌に寝転がっている赤ちゃんに時々笑顔を向けながら家事をするお母さん、という誰もがどこかで見たことあるようなイメージがわたしの頭の中にもあったのだが、我が家にはそんな光景は訪れなかった。泣き声を背中に浴びながら、首が据わってからは片手で抱っこしながら、洗濯物を干し、掃除機をかける。
そんなこんなで娘の機嫌取りと家事の間を行ったり来たりしていると、あっという間に1時間くらい経ってしまう。すると、次の授乳まであと1時間しかない、少しでも寝てくれないかな、と焦りだす。そしてまた抱っこでゆらゆら…。
この永遠のループの何回目かで、はたと思う。自分のごはんを食べる時間は一体どこにあるのだ!?当たり前だけど、ごはんを食べる前には、ごはんを作らないといけない。食べるタイミングさえ見つからないというのに、ましてや用意する時間なんてどこにもない。
そこで、作り置きや残り物、母が持たせてくれたお惣菜を冷蔵庫に溜め込んだ。平日の日中はこれが頼みの綱で、台所に立ったまま、抱っこしていない方の空いている片手で食べたりもした。休みの日に夫がわたしを気遣って「冷蔵庫にあるもので簡単に済ませよう。」と言ってくれても、たまには作り立てのものが食べたいし、なんといっても備蓄が減っては困るので、断ってなにかしら料理をした。平日とちがって、娘は夫がみてくれる。そういう時にうまく休まなくては、と頭では思っても、遮られずに作業し続けられる心地よさといったら…!それはそれでまた手放したくないような気がしてしまったり。
と、大変なことだらけみたいになってしまっているけれど、嬉しい見込み違いもあって、それは、すべてを帳消しにしてしまうくらい、予想を遥かに超えて我が子が可愛いということ。「どんなにつらくても、子どもの笑顔を見ると忘れられる。」ーーよく聞く、お決まりのセリフ。そんな優等生的なことを言う性格ではないです、わたしは。でも、本当だった。いや、忘れられるってことじゃないんだけど、まあいいや、という気持ちになるというか。
なにもかも思うようにいかなくて絶叫しそうな日でも、夜寝る頃には「あー今日もかわいかったな。」と思っている。子育てでびっくりすることっていっぱいあるけど、1番びっくりしているのはこのことかも。娘が4歳になった今でも、いまだに毎日びっくりしている。
PROFILE
伊野妙このライターの記事一覧
東京生まれ、横浜育ち。女の子と男の子の三児の母。家庭業の傍ら、編集・ライティング・翻訳などの仕事を少々、ニットデザイン・制作販売の仕事を少々(Juhla[ユフラ]主宰 /『輪針だからカンタン! おしゃれでかわいい手編みこもの』発売中)。
http://instagram.com/eatoooni
(制作 * エチカ)