先輩パパとママの毎日コラムvol.435

まだまだ新米おかあさん「天と地ほどに違った、2度の帝王切開」

2021/10/1
まだまだ新米おかあさん「天と地ほどに違った、2度の... まだまだ新米おかあさん「天と地ほどに違った、2度の...

ライターの藤沢あかりさんが、2度の帝王切開の違いを語ってくれました。

2度の帝王切開は、気持ちのうえでも、そして痛みも大きく違って感じました。

1度目は、帰省先の総合病院。ありがたいことに、これまで大きなケガなどしたことがなく、麻酔を受けたのは歯医者くらい。親知らずの抜歯すら経験がないわたしには、「おなかを切る」ということがピンとこないまま、実感もなく手術当日を迎えました。

ストレッチャーに寝転ぶと、天井の照明とたくさんの器具。おお〜ドラマの光景……と、のんきなことを思っていたら、気づけば「はい、赤ちゃんでますよ〜!」「えええええ!もう切れてるの!?おなか開いてるの!?!?!?」とびっくりしたのを覚えています。

痛みも恐怖もないまま、あっという間にわが子とご対面です。しっとりと温かい子を胸元にのせてもらい、初めて愛おしいという感覚が湧きおこった瞬間でした。このときの気持ちは、1回目のコラムでも書きましたのでぜひ読んでみてください。

赤ちゃんとご対面するパパ

さて今回は、その後の話。

術後は麻酔や痛み止めなども効いていたのか、とりたてて激しい痛みは感じませんでした。そして手術翌日、きついと噂に聞いていた離床のタイミングがやってきました。離床、つまりベッドから起き上がることですが、これがつらい。ひたすらつらい。電動リクライニングベッドで上半身を最大に起こし、まずはそーっと膝をひきよせ…られません。正面を向いた体を、どうにかこうにか左にひね…れません。無理です、無理すぎます。すべての道はローマじゃなくて腹筋に通じていたのだと実感した瞬間でした。

それでも母は強し。新生児室に行きたい気持ちに励まされ、気合いを入れて起き上がりました。自分の足で立ってみると、意外にもそこから先は大丈夫。ぎっくり腰を経験したことがある人には伝わるでしょうか。姿勢を変えるときが一番つらく、立ってしまえばこっちのもの、みたいな感じです。

それをいいことに、翌日からはとにかくひっきりなしにやってくる親戚や友人らの面会に一日中追われていました。

自分でも、「全然大丈夫〜!そんなに痛くないよ〜!」なんて感じで、思えば出産直後から、わたしの頭のなかは大量のアドレナリンが出ていたのかも。脳内は盆と正月どころか誕生日もクリスマスもボーナスも一緒に来たようなお祭り騒ぎでした。

産後は、ものすごく不安になったり落ち込んだりする人も多いというのに、わたし個人は「帝王切開ってラク〜、痛みも怖さも全然なーし!」と楽観していたのでした。

病院食って味気ないイメージでしたが、おいしかった!しかし今見ると、産後の量ってなかなかすごい。病院食って味気ないイメージでしたが、おいしかった!しかし今見ると、産後の量ってなかなかすごい。

さて、そんなハイテンション出産から5年後。今度は自宅近くの総合病院で、帝王切開を受けました。

5才の娘を残しての入院と手術。もうそれだけで不安でたまりません。このまま麻酔で戻ってこれなくなったらどうしよう、娘を残してなにかあったらどうしよう。悪いことばかり考えてしまい、奥歯はカチカチ、手足はガタガタ、冷や汗はだくだく、喉はカラカラ。看護師さんがずっと手を握り、肩をさすってくれていました。

寝ている赤ちゃん

手術中も時間が恐ろしく長く感じ、周囲で「出血量、◯◯mlです」「◯分経過」などと聞こえるたびに、医療ドラマの緊迫シーンと重なります。祈るようにじっと耐えていると、ぐいっとおなかをなんどか押す感覚があり、看護師さんに抱かれた息子が顔のそばにやってきてくれました。

が、そのときには恐怖と安堵と不安と喜びと、もうなにがなんやら。ぐちゃぐちゃに泣いていたことは覚えていますが、あまり記憶がありません。肌と肌とが触れ、ぬくもりを感じたと思ったらそのまま、意識が薄れていきました。

さて、次に目覚めたのは病室のベッドです。焼けるような燃えるような痛みで目が覚めました。

なんだこれ、後陣痛なのか、傷口の痛みなのか。とにかく激痛オン激痛、何度もうわ言のように「痛い…痛い…助けて……」とつぶやいていた気がします。

きわめつけは、夫に「赤ちゃん、隣に連れてくる?」と聞かれても「いらない」と言ってしまったことです。

1人目のときは痛みも吹き飛ぶくらい愛しくてたまらなかったのに、今回は自分の痛みでいっぱいいっぱい、かわいいと思う余裕すらありませんでした。

出産翌日、娘が初めて弟を抱っこした瞬間(わたしはカメラを構えながら号泣中)。出産翌日、娘が初めて弟を抱っこした瞬間(わたしはカメラを構えながら号泣中)。

翌日、ベッドから起き上がる時間が来ても激痛は続きます。動いた方が血栓予防になるらしく、かなり厳しくうながされるのですが、まったく動けません。いや、あのときも激痛だったけれど乗り越えたじゃないか!もうひとりのわたしが励ますも、一向に動かぬ体。

「もうちょっと頑張れませんか?」と苦い顔の看護師さんの視線に脂汗がにじむも、おなかに1ミリも力を込められない。
「もうちょっと頑張ってください」「ううう、無理です」
そんなやりとりをひたすら繰り返し格闘したのち、看護師さんも深いため息をつきながら、「じゃ、また午後に頑張りますよ」と残して帰っていきました。

わたしは病室で、痛さとつらさでひとりめそめそと泣きました。おなか痛いし、赤ちゃんもちっともかわいく思えないし、留守番中の娘に会いたくてたまらない。離床すらまともにできなくて、もうダメだ。悲しみはわたしをどんどん飲み込んでいき、果ては枕元に置いたテレビのリモコンがベッドの端に動いてしまっただけでも「痛い、取れない…ううう」と泣き崩れる始末。

バンザイしながら寝ている赤ちゃん

さらに息子は全く寝ない赤ちゃんでした。夜中、激痛に耐えながらおっぱいをあげ、ミルクを足し、それでも寝ない、寝たと思ってもまた起きる。眠れず、痛みも疲れも限界で、深夜、ゆらゆら抱っこをしながらさめざめと泣き、夜中の2時に夫のSNSに「もう無理限界つらい寝ないもういや」と何十回も入れるわたし……。

あぁこれが、みんなが言っていた「産後ってつらい」ってやつかぁ……と、ぼんやり思ったのでした。

その後は、日にち薬でしょうか。傷口の経過とともに赤ちゃんのこともかわいいと思える余裕ができ、少しずつ母としての自分を取り戻していった気がします。リモコンが転げても泣いていたなんて、今思えば笑い話ですが、そのときは必死でした。

同じ人間でも、こんなに違った2度の入院。子育てって、みんなそれぞれ違って当たり前なんだと改めて感じているわたしです。

藤沢あかり

PROFILE

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編集者、ライター。衣食住や子育てなど暮らしまわりを中心に執筆。主流・傍流にこだわらない視点で丁寧に取材し、分かりやすい言葉を使って伝えることがモットー。2012年、2017年、どちらも夏生まれの2児の母。
https://www.instagram.com/akari_kd/

(制作 * エチカ)

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