先輩パパとママの毎日コラムvol.40

キミの瞳が、ボクをパパにする「母になったキミと父になったボク」

2016/10/24
キミの瞳が、ボクをパパにする「母になったキミと父に... キミの瞳が、ボクをパパにする「母になったキミと父に...

4才になる娘のパパである川原和之さんが、写真で振り返る川原家の出産記。

2012年4月2日、長女を授かった日。もう今から4年前の出来事。こんなことを冒頭から書いてしまうと、妻にも娘にも怒られてしまうけど、出産3日間に及ぶ難産だったにも関わらず、長女を授かった時の記憶はひどく断片的で、時間の感覚が無く、モノクロ写真のように色のない世界として僕の頭の中に記憶されている。そんな曖昧な記憶の水面をそっとすくいとるように思い出すと、はじめに思い浮かぶのは、生まれた時の娘の猿のような顔よりも、産婦人科の分娩室でみた妻の瞳だったりする。

妊娠中のお腹

出産のために里帰りしていた妻からメールが届いたのは3月31日の午前中だった。「もう生まれそうだよ」と極端に短いメールを見ると、僕は慌てて荷物を車に詰め込み、片道500km以上の道のりをノンストップで妻がいる産婦人科へ急いだ。

病室にて

病院に到着すると、妻が「早かったわね。」と、何事もなかったような穏やかな顔で食事を摂っていた。「破水したけど、子宮口の開きが小さくてまだ生まれるまで時間がかかりそう。」の妻の言葉に、間に合ったことへの安堵と、あまりに普段通りな姿にとても驚いた。その後、看護師さんから「今日は生まれないと思いますので明日の朝また病院へ来てください。」と言われ、その日は妻と別れて妻の実家へ泊まることになった。

翌朝、病院へ行くと、昨日とは状況が一変していた。陣痛の感覚が短くなり、苦痛の表情を見せる妻。今まで見たことがない表情だった。僕は、寒がる妻から頼まれたタイツを買ってきたり、腰をさすったりと、妻から言われるまま頼まれたことをこなす事が精いっぱいだった。その後、やはり子宮口の開きが不十分だったこともあり、自然分娩は難しく、急きょ帝王切開に変更になった。その場で僕たちは、医師からの帝王切開の手術の説明を受けた。

妻は「赤ちゃんが無事に生まれるのであれば大丈夫です。」とはっきりと言った。僕はこの時の妻の瞳を忘れることができない。もうすでに、妻の顔は、母親の顔になっていたのだ。

出産後

僕は立ち会うことが許されず、病室の外で妻の両親とともに待った。その後、まもなく「おぎゃー!」と元気な産声が聞こえてきて、看護師さんがとても小さな女の子を抱きかかえてきて、僕に抱き渡してくれた。びっくりするぐらい軽かった。妻は術後の低血圧症状でぐったりとした表情で横になっていたけど、「元気な女の子だよ。」と呼びかけると、「抱き方がぎこちないよ。」と言いながら左手でピースサインを作った。

その夜、保育器に入った娘の姿を眺めながら「ママは、とてもがんばったんだぞ。」って心の中で言うと、自分が父として何も覚悟できていなかった事が、なんだか情けなくなった。

産まれてきた赤ちゃん

それから、仕事の都合もあって、次に娘と対面したのは2ヵ月後だった。妻に抱きかかえられた娘は猿のような顔ではなくて、母親の腕の中で安心した表情で真っ直ぐにこちらを見ていたというより、睨んでいた。この時に撮った写真に写る娘はなんだか僕に似ていた。「僕も父親になったんだな。」と思った。2ヵ月遅れだけど、はじめてそう思ったんだ。

川原和之

PROFILE

川原和之このライターの記事一覧

富山県在住。作業療法士。2人の娘と妻の4人暮らし。
https://instagram.com/kazuyukikawahara/

(制作 * エチカ)

RELATED 関連情報はこちらから

RANKING アクセスが多い記事をランキング形式でご紹介。

妊娠・出産・育児は、
わからないことがいっぱい。
悩み過ぎず、自分のペースで
行える育児のカタチを紹介していきます。
コモドライフとは?